2013年04月
御遠忌(ごおんき)を迎えて(十)
常寂光土─拝み合いの世界
法華経方便品には「唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)」という語句があります。
"仏と仏のみ"と読みます。「みなすばらしい」という生き方は諸法実相(しょほうじっそう)といいますが、
この境地に達するのは、ただ仏と仏のみであるというのです。しかし凡夫(ぼんぶ)もやがて仏になる種子(仏性(ぶっしょう))を内に宿していますから、仏と仏のみの世界は、この現実世界であるということがいえます。
まことに娑婆(しゃば)と呼ばれるこの現実世界こそが常寂光土であるというところに妙味があるのです。
これを現実に実践する具体的方法の一つに「拝み合い」があります。
このお経には、常不軽(じょうふぎょう)菩薩が、出会う人すべてを拝んでいくという礼拝行(らいはいぎょう)に徹した修行者の姿が描かれています。
「我、深く汝等を敬う。敢えて軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は如何(いかん)、汝等みな菩薩の道を行じて当(まさ)に作仏(さぶつ)(仏になること)することを得べし。」とあります。
それはどんな人にも仏性(ぶっしょう)があり尊い存在であるからです。
この人生で行き会うすべての人を拝んでゆく。人だけではなく、すべての物を拝んでゆく。すべてを敬い、すべてに感謝の真心を尽くす。これが合掌礼拝(がっしょうらいはい)の姿です。
常寂光土は拝み合いの中から生まれます。合掌礼拝すれば、自然に頭が下がる。それは自ずと謙虚な気持ちを呼び起こしてくれるからです。人間はともすれば、驕慢(おごり高ぶること)になりがちです。 合掌礼拝はそれを消してくれます。またわが心の至らなさ、醜さを思い知らせてくれる。まさに懺悔(さんげ)の心にならせてくれるのです。
人を怨んではいけない、どんな物をも軽んじてはいけない、ただひたすら拝んでゆく。この常不軽の精神こそは、常寂光土の輝きを確かなものにする一番の近道でありましょう。
融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長