2015年までの法話

2008年04月

三つの心

総本山大念佛寺の伝道掲示板の法語は半月ごとに替わりますが、つい先日まで、次の三つの心が出てまいりました。

一、 喜心(きしん) (よろこびと感謝の心)

二、 老心(ろうしん) (いたわりと思いやりの心)

三、 大心(だいしん) (許す心、ひろい心)

私たちが日常生活を営む上において、この三つの心はきわめて大切なことのように思われます。

まず、喜心ということですが、宗教生活というのは、日々のなにげない営みの中に、喜びと感謝の心を持つことといっても過言ではなく、どんなことも喜んでありがとうといえる心を持つことができたら、もうそれだけで心はきっと明るく楽しいものになるでしょう。
そして周囲の人たちの心を和やかにするに違いありません。
喜ぶべきこと、感謝すべきことは私たちの周囲に満ち溢れているのですが、ついぞそれに気づかず、不平不満や愚痴や怒りが出てまいります。朝、目を醒ますことも大きな喜びであり、夜、一日の勤めを終えて就寝できるのも大いなる感謝です。まことに私たちは、朝から晩まで、生活の一こま一こまに喜びと感謝の心を持つべきなのです。しかし心がけていても、なかなかそれは起こり難いのも事実です。そこで一つ一つの動作の前に、「○○の幸せ」「○○の喜び」と声に出していうようにします。たとえば「お茶を飲む喜び」「歩ける幸せ」というような具合です。

声に出してというと、それは必ず心に響きます。

次に老心というのも大切な心です。いたわり、やさしさ、思いやりなどの心をいうのですが、家庭でも職場でも、人が接するところにこの心がいかに大切かはいうまでもありません。
ある人が年老いて病床にある母親に久しぶりに会いに行き、元気づけ慰めるはずだったのに、逆に母親から「仕事は順調にいっているか」「無理をしてはいけないよ」「家族はみんな元気にしているか」など、あたたかい思いやりの心に触れて胸がいっぱいになったと話していました。自分が病床にありながら、わが子をいたわる母心はまさに老心そのものです。この心を広く社会に行きわたらせればどんなにすばらしいことでしょう。

次に大心とは、寛大で許容することをいいます。すなわちおおらかな心、許す心のことです。私たちは、この身、この口、この心に知らず知らずの間にも罪過(つみとが)を造っているのですが、こうして生きているということは許されて生きているのです。なにげなく発した言葉の一つにも、人の心を傷つける毒が潜んでいる場合もあります。生命を支える食事は、他の生物の命を奪っているということですから、これも罪を犯しているといえるでしょう。大いなる許しの中に生かされているこのいのちなのです。だからあらゆる人、あらゆるものに対して、自分もまた寛大で許すことのできる心を持たねばなりません。さて、以上の三つの心は詮(せん)じ詰めれば、これがすべて融通和合の心に摂(おさ)まるとういことです。融通の心は人と人が手を携えてともに生きてゆく道を拓(ひら)いてくれるものだからです。

融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長

吉村 暲英
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