2007年10月
法話
「平成」という年号も間もなく20年を迎えようとしています。
その前の「昭和」という年号は世の中が明るく平和に治まるはずの昭和でしたが、富国強兵そしていろんな事変という名の小戦争を経て、昭和16年に無謀な太平洋戦争に突入し、悲惨極まる3年9ヶ月が過ぎ終戦をむかえました。終戦後は食べるものもない極貧の時代が続き、その後急速に復興し経済的には世界中がびっくりするような大発展を成し遂げました。「昭和」は64年まで続き「平成」という年号に変わりました。「平成」とは太平で平穏で安らかな時代でありますようにという願望のもと名づけられたものです。小渕元首相が官房長官の時に、「平成」と書いた大きな紙を掲げて、「今日から「平成」という年号になります」と言っていたのが一寸前のことのように思われますが、もう20年を迎えるということで感慨ひとしおなるものがあります。
今日の日本は戦争もなく物質的には豊かな国になっております。私は終戦後間もなく近鉄上六駅から大阪市街を眺めました。点々と見えるのは焼け残った土蔵だけですさまじい廃墟の姿でした。それから60年、ぎっしりと立ち並ぶビル群を見ると日本という国はすごい力を持った国だと感心致します。ところがその反面、心の方はどうだろうと考えると物に反比例して段々と淋しくなってきているように思われます。
日本の経済界のトップと思われるトヨタ自動車の奥田碩前会長が「今一番心配しているのは社員の心のおごりである」と言われました。大会社の役員や社員になればどうしてもエリート意識が強く、また自然と慢心が生まれます。その結果どうしても人間関係に歪みが生じ、いろんな問題が起こってきます。
私たちは「心」という大変厄介なものを抱えています。経済大国と言われているにも拘らず年間3万人を超える自殺者があり、また殺人等の凶悪犯罪が多発しているこの国は物質的には豊かであるが「心」が重く病んでいるように思えます。
今「命」の大切さの自覚が著しく欠如しています。「命」軽視の社会で生きていることに多くの人は漠然たる不安を抱いています。「命」軽視症候群に侵されています。心療内科だけではなかなか治癒しないものであります。「衆生病む故に我あり」とおっしゃるのは仏様なのです。人々がもっている淨らかで根源的な心を早く取り戻しなさいとおっしゃっているのです。自分の存在は他人より与えられるものです。他人の中でいるという時に存在があるのです。自他それぞれが大切であり、それぞれの命が大切であることを自覚しましょう。そこに諸法実相という光が見えてくるのです。
大念佛寺へ是非お参りください。そしてあなたの称えるお念仏は、あなたの心に一筋の光明を与え、その光は世の中をも明るくしてゆくでしょう。
融通念佛宗 管長
総本山大念佛寺 第66世法主