三祖忌
三祖忌の始まり
江戸幕府がその初頭以来、仏教各宗派に対して多くの個別法度を触れだして求めたものは多くありますが、その中で普遍的に取り上げられているものは「宗学の研鑽」そして「法務勤行の確立」でした。もっともそれを政治的に見れば、それによって寺院・僧侶の統制を行わしめようとするところにあったわけですが、宗派としての発展もまたこれを措いては成立しないことも確かな事実でした。
融通念佛宗の場合も、徐々にではありますが進められていました。
第四十三世舜空の代(万治3年・1660~寛文元年・1661)には、大念佛寺日夜勤行法式として、
阿弥陀経、六時礼讃、称名念仏
此外喩讃回向、讃釈迦法号、毘沙門法号
小偈 心経 極楽讃等を随時之を修する
という内容が決められていました。
時を経て、宗としてもこのような法式(ほっしき)では全く不十分でしたので、貞享5年(1688)には寺社奉行より当時、融通念佛宗の中でも特に大寺院を抱えていた六別寺(ろくべつじ)に対し、次のような7項目にわたる申し渡しがなされました。
- 籤(くじ)によって住持を決めることは、宜しくないことであるが、この度だけは従前通りに致すこと。
- 六別寺講中の者、私心なく相談して融通一派の法義をたてること。
- 一派のうちで若年より剃髪し、学問をした者は、法臈順(ほうろうじゅん)に六別寺、本寺無住の時は住職にして宜しい。
- 寺内には他人の者は申すに及ばず、親類であっても女人を置いてはいけない。
- 酒肉五辛等を門内へ入れないよう、戒盤を立ておき、相守るべきこと。
- 大念佛寺住持の俗縁の者を、内外に取り持ちしてはならない。
- 什物等は紛失しないよう帳面に記し、住持替りの節は、相渡すべきこと。
大念佛寺では、この申し渡しに対し、六別寺和談の上で、7ヵ条に、
- 本山後住の定め方
- 二﨟役者を貞松院(ていしょういん)とし、その他多くの説法僧を抱えて、弘通(ぐずう)いたしたきこと
- 寺中惣横目に、辻本一人宛が一ヶ月交代に任じて施人・結算等を監視させる
- 末寺・又末寺を本山に集めて、宗学を研鑽させること
- 元祖忌・中祖忌には末寺を本山へ出仕させること
- 融通念佛を如法に唱え之を修行すること
- 阿弥陀経を読誦すること
- 法華経を読誦すること
- 梵網経を読誦すること
- 六時礼讃を読誦すること
以上10ヵ条を加えて、計17ヵ条として纏(まと)め、六別時の一つであった良明寺の大通上人が代表となり、貞享5年(1688)7月寺社奉行のもとへ差し出しました。その後、寺社奉行は大通上人宛に書面でもって確認の印を取りました。
一方、この歳(元禄元年・1688)に、大通上人の悲願であった「宗門復興の台命(たいめい)」が時の将軍徳川綱吉公より下ります。そして、この17条の「寺社奉行確約」に基き、宗の組織体制確立が進められていきます。
宗門改革は多岐に亘りますが、およそ次の5点に要約されるでしょう。
- 本末統制:本山と末寺の関係強化
- 壇林(だんりん)設置:壇林とは僧侶の学問所のことで、大念佛寺を一宗の壇林(教団)と定め、専門の僧侶を教育養成する
- 法儀制定と法要活性:僧侶の日常規範から宗教儀礼に至るまで、清規(正しい規則)を定める。また、御回在振興・御遠忌執行・時正会再興・練供養復活などを手掛け、その強化定着を図る。
- 教学確立:『元禄版課誦(げんろくばんかじゅ)』策定と『融通円門章(ゆうずうえんもんしょう)』『融通念佛信解章(ゆうずうねんぶつしんげしょう)』撰述
(『元禄版課誦』策定は勤行式の制定を意味します。『融通円門章』『融通念佛信解章』撰述によって「良忍上人感得融通念仏」を高い仏教哲学にまで高めることになります。) - 経済的基盤確立:堂宇新築補修・宝物整備保管・永代祠堂確立と境内地拡大
元禄11年(1698)、大通上人はこの歳の2月1日、6月13日、良忍上人・法明上人の御遠忌を盛大に執行した。先の17ヵ条の中の良忍上人・法明上人両祖師の御遠忌のことが掲げられていたのを、大通上人は是をうけて大いに法会を啓かれたのです。その特徴は、専門の式衆、つまり選ばれた僧衆のみによる法会ではなく、末寺全ての住職による法要を目指されたことでしょう。今日においても、この伝統に則り専門式衆による法会ではなく、全ての住職が、順番に大衆として登山出仕し法要を営んでいます。
三祖忌の実際
『三祖略伝(さんそりゃくでん)』(明治20年)には、三祖のご遠忌について、往古より毎年本山に於いて開山中興両祖師の忌日には大法会を御執行あらせられ、現今は陽暦に推歩して、開山大師の遠忌を毎年2月24日より26日まで、中祖上人の遠忌を7月5日より7日まで、各音楽大法事を修業せらる。また再興老尊者の遠忌は毎年3月5日に同じく音楽法事を行わせらる。信徒たる者各自記憶して三拝あるべきなり。
と紹介されています。時を経て今日では、開山良忍上人ご遠忌は2月26日、中祖法明上人ご遠忌は7月7日、再興大通上人ご遠忌は3月5日と定めそれぞれ遠忌法要を営んでおります。
三祖忌法要の後半には管長猊下がお出ましになり、融通念佛衆徒の上品往生の願いを以下のように吐露(とろ)されます。
- 諸仏護念(しょぶつごねん)を蒙(こうむ)り法界衆生煩悩(ほうかいしゅじょうぼんのう)を断除(だんじょ)し同じく安養浄刹(あんようじょうせつ)に往生せんことを得(え)んが為に一切(いっさい)の賢聖(けんしょう)を和南(わなん)し上(たてまつ)る
- 今日(こんにち)勤行一会(いちえ)の大衆現(げん)に是れ凡夫(ぼんぷ)にして罪障深重(さいしょうじんじゅう)なり誤って円融無礙(えんゆうむげ)の實智(じつち)を凶(きょう)じ久しく生死虚妄(しょうじこもう)の幻野(げんや)に迷う
- 幸(さいわ)い哉弥陀所伝融通妙門(みだしょでんゆうずうみょうもん)の開發(かいほつ)に値遇(ちぐう)して各々欣然(おのおのきんぜん)として名帳に交締(こうてい)し自他融通(じたゆうずう)大念佛億百万遍の行者(ぎょうじゃ)と成って日課の寶號一心(ほうごういっしん)に稱念(しょうねん)して上品(じょうぼん)の華臺(けだい)に往生せんことを求願(ぐがん)す
- 縦(たと)い十悪盛(じゅうあくさか)んなりといえど何ぞ本願に漏(も)れん信心浅(しんじんあさ)しと雖(いえど)も弘誓(ぐぜい)最も深し
- 決定徃生更(けつじょうおうじょうさら)に疑心無(ぎしんな)し
- 所修(しょしゅう)の善根現前増進(ぜんこんげんぜんぞうしん)して 現当(げんとう)の所願必定成就(しょがんひつじょうじょうじゅ)せば 即今(そっこん) 佛の大慈悲を以て身相光明(しんそうこうみょう)観音勢至諸大菩薩及(およ)び彼(か)の世界の荘厳(しょうごん)の相(そう)を示現(じげん)したまえ