簡単なようでなかなか実行できないのがこの十善です。
1~3が身体に属し、4~7が言語にまつわること、8~10が心(意)の作用であることから、身口意(しんくい)の三業(さんごう)を清めることが仏教徒として大切な実績であるとされています。身体と言葉と心を清めていくことが十善の根本です。
ところが十善はややもすると逆に十悪(じゅうあく)になりかねません。それほど身口意の三業には垢がつきやすいものなのです。
十善を心がけるには絶えず身口意の禍(わざわ)いを悔い改める努力と、他の人への深い思いやりが必要です。罪禍(ざいか)を悔い改めることを懺悔(さんげ)といい、思いやりは慈悲といってこの二つはいつも一体となって私たちの内面から湧き起こってこなくてはなりません。逆に、懺悔と慈悲があれば、十善は自ずと果たされていくということです。
人間はいつも自分を善人に仕立て上げようとしたり、自己愛に偏執(へんしつ)してしまうため、真の懺悔や真の慈悲とはなりにくいものです。
それでは真の懺悔、慈悲の実践には何が最も近道であるか、何が最も十善に励むことになるかということになります。
それは念仏を称えることであるということです。「南無阿弥陀仏」と一心に称えるならば、自ずと邪気が払われ、身と口と心が清らかになり、知らず知らずのうちに懺悔と慈悲の徳が備わってくると伝えられています。念仏こそは最上の善行なのです。十夜は念仏を喜ぶ法要です。それは善を修するという目的に最もかなうものが念仏であるというところから起こりました。特に十日十夜の最後の夜には善行が満ち満ちているとさえいわれ、念仏の力、念仏の有難さに浸って頂きたいものです。