年中行事
月例行事
1月
1月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
1月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
百万遍会(大数珠くり、お札授与)
億百万遍会とも称する。一人の念仏の功徳が千人万人に融通して億百万ともいう大きな功徳を生むことを実際に地でいくことを表現した行事。この数珠は直径が約7cmの欅の珠を5,400個つないだもので、元禄13年(1700)大通上人が多くの人たちから寄進を募り作成したもので回向の戒名、施主名を一々の珠に刻み込んでいる。
本堂の四隅に滑車を取り付け、参詣者が繰っていく様は壮観である。法主猊下から身体堅固の祈祷を受ける。
詳しくはこちら融通念仏会
鉦の音に唱和して念仏を唱える法会。名帳に名前を記して名帳結衆となり、融通念仏の信者たる証を立てる。名帳結衆は毎日諸天善神の守護を受けることができる。
この法会は、良忍上人から続いているもので、実に融通念仏信仰の中核をなすものである。
2月
2月3日
大般若転読
2月3日
大般若転読
大般若経六百巻をひもとき、経の主旨を称えながら、経本を操って読経に擬すことを転読という。
般若経の功徳で国家の安泰、天地自然の恵みを祈請し、併せて諸人の身体堅固、家内安全の諸願を祈る。
詳しくはこちら2月26日
元祖忌法要
2月26日
元祖忌法要
3月
3月3日
河内御回在ご出光
3月3日
河内御回在ご出光
本山大念佛寺から各末寺と檀信徒の家々へ出向く、いわば出張形式をとる独特の行事である。
鉦を打ち鳴らしながら御本尊十一尊天得如来をかついで檀家を回り先祖の追善回向、家々の祓い、身体堅固等の祈祷をなす。
元祖良忍上人が鳥羽上皇から賜わった鉦を打ち鳴らしながら念仏を勧めて歩かれた姿を再現したもので、第三十六世道和上人の元和年間(1615 ~ 23)から始められた。
詳しくはこちら3月5日
再興忌法要
3月5日
再興忌法要
4月
5月
5月1日~5日
万部法要
5月1日~5日
万部法要
5月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
5月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
百万遍会(大数珠くり、お札授与)
億百万遍会とも称する。一人の念仏の功徳が千人万人に融通して億百万ともいう大きな功徳を生むことを実際に地でいくことを表現した行事。この数珠は直径が約7cmの欅の珠を5,400個つないだもので、元禄13年(1700)大通上人が多くの人たちから寄進を募り作成したもので回向の戒名、施主名を一々の珠に刻み込んでいる。
本堂の四隅に滑車を取り付け、参詣者が繰っていく様は壮観である。法主猊下から身体堅固の祈祷を受ける。
詳しくはこちら融通念仏会
鉦の音に唱和して念仏を唱える法会。名帳に名前を記して名帳結衆となり、融通念仏の信者たる証を立てる。名帳結衆は毎日諸天善神の守護を受けることができる。
この法会は、良忍上人から続いているもので、実に融通念仏信仰の中核をなすものである。
5月22日
東照大権現忌
5月22日
東照大権現忌
慶長19年 大坂冬の陣、元和元年 夏の陣において、家康公は大念佛寺を訪れ、天下泰平、武運長久の祈願を乞うた。江戸への帰途、再び大念佛寺を訪れた家康公は、田園を寄進する旨を伝えたところ、道和上人はこれを辞退し、代わって良忍上人の念仏勧進にならい諸国への回在念仏弘通の許可を許された。家康公亡きあと、歴代将軍より兵火により破損した堂宇の修復料が寄せられ、それ以来大念佛寺は朝廷とともに徳川幕府にも礼を尽くし、霊明殿に家康公の霊牌を安置し、忌日には報恩の法要を修するようになった。
詳しくはこちら5月29日
河内御回在ご帰院
5月29日
河内御回在ご帰院
3月にご出光された御本尊がおかえりになられます。
詳しくはこちら6月
第3週土・日
保管霊骨追善法要
6月26日
小川伊高公法要
6月26日
小川伊高公法要
第6世良鎮上人から法灯を継ぐべき適任者がなく139年途絶えた法脈。その間融通念佛宗の法器、霊宝の数々は京都男山石清水八幡宮に預けられていた。機縁ようやく熟した元亨元年(1321)、第7世となる夢告を受けた良尊法明は法灯を継ぐべく霊宝を迎えに石清水へ旅立つのである。時を同じく八幡神からの霊告をうけた八幡宮の使者は社殿に預けられていた宝物を深江へ向かっていた。この社人こそ「小川伊高公」である。小川伊高公は藤原北家の流れをくむ小川家の嫡子として出生したが、幼少の頃から八幡宮に使え、成人の後、社司となった。
法明上人と小川伊高公が枚方、茄子作で偶然出会い「霊宝授受」の儀式を修した。小川伊高公は法明上人の信仰の心に触れ道心を発して弟子となった。法明上人が大念佛寺へ入山後はその門前に居を構え、子々孫々と融通念佛の法灯を外護したのである。
7月
7月7日
中祖忌法要
7月7日
中祖忌法要
7月20日
鳥羽上皇忌
7月20日
鳥羽上皇忌
宗祖良忍上人を宮中に招き融通念仏日課百遍を受け深く帰依された。さらに上皇は名帳(融通念仏勧進帳)に序文をしたため、融通念仏の功徳をたたえ、ご愛用の鏡を鉦に鋳替えて良忍上人に与え、念仏行脚の便に供された。その恩恵に報いるため第3世明應上人は霊明殿を建立し、上皇の霊牌と御真影を奉安しその忌日には盛大な法会を修した。しばらく途絶えていた法会を今般、霊明殿が改修されたのを機に復活したものである。
詳しくはこちら8月
9月
9月9日
大和御回在ご出光(山中入り年は3日)
9月9日
大和御回在ご出光(山中入り年は3日)
本山大念佛寺から各末寺と檀信徒の家々へ出向く、いわば出張形式をとる独特の行事である。
鉦を打ち鳴らしながら御本尊十一尊天得如来をかついで檀家を回り先祖の追善回向、家々の祓い、身体堅固等の祈祷をなす。
元祖良忍上人が鳥羽上皇から賜わった鉦を打ち鳴らしながら念仏を勧めて歩かれた姿を再現したもので、第三十六世道和上人の元和年間(1615 ~ 23)から始められた。
詳しくはこちら9月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
9月16日
百万遍会(大数珠くり、お札授与)融通念仏会
百万遍会(大数珠くり、お札授与)
億百万遍会とも称する。一人の念仏の功徳が千人万人に融通して億百万ともいう大きな功徳を生むことを実際に地でいくことを表現した行事。この数珠は直径が約7cmの欅の珠を5,400個つないだもので、元禄13年(1700)大通上人が多くの人たちから寄進を募り作成したもので回向の戒名、施主名を一々の珠に刻み込んでいる。
本堂の四隅に滑車を取り付け、参詣者が繰っていく様は壮観である。法主猊下から身体堅固の祈祷を受ける。
詳しくはこちら融通念仏会
鉦の音に唱和して念仏を唱える法会。名帳に名前を記して名帳結衆となり、融通念仏の信者たる証を立てる。名帳結衆は毎日諸天善神の守護を受けることができる。
この法会は、良忍上人から続いているもので、実に融通念仏信仰の中核をなすものである。
10月
10月15日
亀鉦まつり
10月15日
亀鉦まつり
大念佛寺に伝わる大切な宝物「亀鉦」を祀って、「亀鉦」の由来となった霊亀を供養する。
鐘鉦の由来
この鉦は、天治2年(1127)鳥羽上皇が良忍上人を招いて宮中で融通念仏会を修し、ご愛用の鏡を鉦に鋳造し変えて上人に与えられたもので、「鏡鉦」と称し、代々念仏勧進に使用されてきた。
第七世法明上人は播州加古の教信寺参拝の為、元亨3年(1323)難波浦より海路旅立ったが、鳴保崎の沖にさしかかった時に大嵐が起こり船は転覆しそうになった。龍神の怒りを鎮めるため「亀鉦」を海中に投げ込んで嵐を鎮めた。帰路、同所にさしかかった時、大きな亀が頭上に「鏡鉦」を戴き法明上人に返しにきた。この時から「亀鉦」と称するようになったものである。
11月
11月3日
胎内仏納骨法要
11月14日
十夜会(厄除がゆ施与)
11月14日
十夜会(厄除がゆ施与)
12月
12月1日
後小松天皇忌
12月1日
後小松天皇忌
第14世道音上人の時、上人の高徳を聞し召した天皇は、康応元年 宸翰融通念仏勧進帳を下賜された。これは国の重要文化財に指定されている貴重な逸品である。その護法のお心に感謝する報恩の忌日である。
詳しくはこちら12月17日
大和御回在ご帰院
12月17日