万部おねりとは
令和6年の万部おねりは本堂大屋根葺き替え工事のため、菩薩による来迎橋おねりは中止とさせていただきますが、瑞祥閣門前に「特設舞台」を設置して、菩薩による献華の儀式(伝供式)などの法要や奉納を行っています。(雨天変更あり)
令和4年の万部おねりの様子を
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アーカイブ:2022年5月1日(日)~5月5日(木祝)
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厳(おごそ)かに装飾された二十五体の菩薩
幽玄に響く僧侶の声明と雅楽の音色
絢爛(けんらん)豪華な極楽の様相を前にして
自(おの)ずと両の手は合(あわ)される
万部おねりについて
「平野の万部」「万部おねり」として親しまれている万部法要は、正式には「阿弥陀経万部読誦聖聚来迎会(あみだきょうまんぶどくじゅしょうじゅらいごうえ)」といって、毎年5月1日から5日まで行われる大念佛寺の伝統行事です。
その名が示すようにこの法会は、万部会と来迎会が合体したもので、大阪市の無形民俗文化財に指定されています。
来迎会の起源
来迎会は元来迎講(むかえこう)といい、平安時代中期、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(942~1017)によって始められました。源信はその著『往生要集(おうじょうようしゅう)』において往生極楽の十種の功徳を讃え、一番目に「聖衆来迎の楽」を挙げています。念仏行者の臨終には、阿弥陀仏が諸々の菩薩とともに大光明を放って迎え、観音菩薩は蓮台(れんだい)を捧げて行者の前に至り、勢至菩薩は行者の功徳を讃歎し、手を差し延べて引接する様が描写されています。
大念佛寺の来迎会
大念佛寺の来迎会は中興の良尊法明(ほうみょう)上人によって創始されました。法明上人晩年の正平4年(1349)、生前に臨終の行儀を修し聖衆来迎の瑞相を拝したいと思い立ち、菩薩の面、衣裳、楽器等をしつらえ、自ら行者となって、上品(じょうぼん)の往生を遂げる様子を表現されました。
法明上人はかねてより當麻寺(たいまでら)の曼陀羅を深く尊信し、融通念仏の信者としての名帳を當麻寺本堂(曼陀羅堂)の瑠璃壇に奉納した故事もあります。その因縁から、當麻寺の練り供養を模したものといわれています。
万部会
江戸時代中期の明和6年(1769)、第四十九世尭海(ぎょうかい)のとき、永代祠堂として上納された霊位とその施主名を記した霊名簿(これを万部経といって尊ぶ)を輿(こし)に乗せて練り歩き、10日間に亘(わた)って阿弥陀経を一万部読誦して懇ろに回向する法要が始められました。
元来、来迎会は一世一代と言って、大念佛寺法主在職中に一度限り盛大に修されていたものですが、万部会の方は毎年4月1日から10日間執行されていました。そしてこの2つの法要が天明4年(1784)4月に初めて併修されて以来、今日に至っています。
万部おねり 入御(にゅうぎょ)
万部法要(万部読誦と菩薩練り供養)は入御、堂内法要、還御(かんぎょ)の3部から構成されています。入御は俗に「お入り」「練り込み」といいます。阿弥陀仏と二十五菩薩に導かれて、娑婆世界から極楽浄土へ到りつく様子を具現化したものです。
本堂の後堂を娑婆世界に見立て、極楽の本堂内までの来迎橋を渡御(とぎょ)します。稚児行列(ちごぎょうれつ)、詠讃歌舞(えいさんかぶ)、踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)、奠茶供花(てんちゃくげ)が先払(さきばら)いとして入堂した後、洒水僧(しゃすいそう)が道中を清め、雅楽の音が華麗で厳かな雰囲気を醸し出す中、万部輿(まんぶごし)と二十五菩薩の渡御となります。特に万部おねりの中で一番荘厳極まる場面ですが、観音菩薩、勢至菩薩を始めとする二十五菩薩の渡御こそ臨終の様相そのものです。かつては迎講(むかえこう)阿弥陀といって、像高250センチメートルの阿弥陀仏像の中に人が入り本堂で入御の菩薩を出迎えましたが、現在は行われていません。
二十五菩薩について堂内の法要について
本堂内に眼を向けると、菩薩が本尊前にて菊、菖蒲(しょうぶ)、百合、芍薬(しゃくやく)、蓮の5種の花を順繰りに手渡しでお供えする「伝供(てんぐ)」の儀式が始まります。「伝供」の間には雅楽が奏され、仏徳を讃歎する声明が唱えられています。雅楽は、仏国土(ぶっこくど)には天楽(天人の奏する楽)が常に奏されているという記述が阿弥陀経にあり、声明は仏の偉大な智慧の働きを梵音(ぼんおん)で唱えています。
「伝供」が終わると僧侶により「散華(さんげ)」が行われます。経典には仏が説法をされると、それを喜び讃えて曼陀羅華(まんだらけ)が天から降り注ぐとあります。この花は天妙華(てんみょうけ)ともいい、色よく芳香を放ち、高潔で見る者の心を喜ばせるという天界の花です。この時も声明によって散華の句を詠じつつ、決まった箇所で一斉に散華されます。
讚歎と供養の讃歌、声明が唱えられた後は阿弥陀経万部会に内部的に移行します。法要の中心となる導師が勧慕(かんぼ)された万部経を頂戴、転読される間、一同は阿弥陀経を読誦し、念仏の唱和をします。このお念仏には2つの意味があり、1つはご本尊に対する報恩謝徳の思いと各自の所願成就を祈るもの。そしてもうひとつは参詣者それぞれに対して仏性開発(ぶっしょうかいほつ)といって、己が心に仏と同じ美しく清らかな花が開くことを願うことをさしています。
阿弥陀経について
阿弥陀経は、極楽という苦悩なく喜びと感謝が満ち溢れ幸ある国土の有様と、その教主阿弥陀仏と菩薩の様子、さらにはそこに生れる方法を説いたお経です。
「彼(か)の国は美しい荘厳に満ちており、素晴らしい環境にあるから、人々はここに生れることを願うべきである。何故ならここは倶会一処(くえいっしょ)といって、先に行った愛しい人と会うことができ、しかも二度と別れの悲しみがない。」と説いて、古来より深い信仰を集めてきました。
それではどうすれば彼の国に生まれることができるのかというと、執持名号(しゅうじみょうごう)といって常に南無阿弥陀仏を放さない、すなわち一心に「南無阿弥陀仏」と称えることと説かれています。喜び、悲しみ、苦しみ、どんな時でも南無阿弥陀仏を人生の灯明として、片時も放さないという生き方です。
還御
堂内での儀式、読経が済むと「還御」に移ります。「還御」は「練り返し」「おかえり」ともいわれますが、来た道を元に帰るという意味ではありません。喜び溢れ幸輝く世界(極楽)に至り着いた者は、もう一度それぞれの世界へかえり来て、人々の苦悩を救う働きをしなければならないという勤めがあります。この勤めを果たすために濁りの世界に還って行くことが還御の式なのです。