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御回在
約半年かけて、大和河内地方を巡る七人の僧侶たち
鉦を叩き、ご本尊を護る四人の禅門(信者)を供に
各地を廻り、信徒の家に飛び込むや
目にも止まらぬ速さで掛け軸が開かれ
御本尊が来臨影向(らいりんようごう)する。
猛然と読経がなされ、そして颯爽と去っていく―。
約四百年培われた「御回在(ごかいざい)」は、
今もなお引き継がれている。
御回在WEB読本
御回在の「教えと意義」「実践と継承」を本をめくる感覚でご覧いただけます。
御回在とは
「御回在」は御本尊「十一尊天得如来(じゅういっそんてんとくにょらい)」の掛け軸を護持(ごじ)して檀家・信徒の家へ鉦(かね)を打ち鳴らしながら回るもので、如来さん、天得さん、ほとけさん、お上人(しょうにん)さんなど、様々な呼称で親しまれています。
大和御回在は92日間、3年に1度の山中回りの年は100日間、河内御回在は68日間の日程で一軒一軒の家をまわって歩く、他にはないめずらしい行事です。
御回在のはじまり
元祖聖應(しょうおう)大師良忍(りょうにん)上人46歳の年、永久5(1117)年5月15日、大原来迎院で念仏を称え、しばし微睡(まどろ)んでおられた時、阿弥陀如来が目の前に姿をあらわされ上人にこの世を極楽にさせる速疾徃生(そくしつおうじょう)の偈文と融通念仏を授けられました。
拝まれた良忍上人が顔を上げられた時はすでに阿弥陀如来の姿はなく、そこには一枚の白い絹が置かれていました。その絹には、今おられた阿弥陀如来が描かれていたということです。
中央に阿弥陀如来が立ちその周囲を十体の菩薩がとり囲んでいる様相で「天から得た如来」ですので「十一尊天得如来」といい、融通念佛宗のご本尊、根本仏です。
良忍上人のお徳は宮中に行きわたり、鳥羽上皇にまで融通念佛の教えを説かれました。鳥羽上皇はご自身の融通念佛への信仰のしるしに使用されていた鏡を鉦に鋳造(ちゅうぞう)しなおして良忍上人へ授けられました。良忍上人はこの鉦を鳴らしながら61歳でお亡くなりになるまで念仏を勧めて諸国を行脚(あんぎゃ)されます。その姿が「御回在」の源流です。
「御回在」の歴史を紐解(ひもと)きますと、元和4(1618)年、第三十六世の法主(ほっしゅ)道和上人のとき。大阪冬の陣、夏の陣によって損傷を蒙った大念佛寺に徳川家康公は償いとして寄進を申し出ます。しかし、道和上人はこれを断り回在念仏弘通(ぐづう)の許可を得たのが始まりです。
御回在の四本柱
「御回在」は「在所を回る」という意味で在所とは檀信徒のいるところ、お寺のあるところ、融通念仏信仰のあるところを指します。
そこでは「念仏勧進(ねんぶつかんじん)」、「祈祷(きとう)」、「祓(はら)い」、「先祖供養(せんぞくよう)」という四つの柱によって信仰が保たれています。
融通のお念仏には南無阿弥陀仏と称えることによって人と人との絆を深め、喜びや悲しみを分かち合い、ともどもに幸せの世界(極楽浄土)を我が足許(あしもと)に築き上げることをめざしています。そうなるために、「融通念仏をお称えしましょう」と勧めて歩くのが「念仏勧進」です。
そして、庶民の願いはそれだけには止まらず、自然現象や目に見えないご利益を求める「祈祷」という要素が含まれるようになりました。ひとりひとりの背中に御本尊を載(の)せて家内安全や身体堅固(しんたいけんご)のご祈祷をする風習が生まれました。それを我々は「お頂戴(ちょうだい)」という言葉で呼んでいます。何を「お頂戴」するのかといえば、御本尊のお力です。御本尊のお力を加被力(かびりき)や威神力(いじんりき)と申しますが、計り知れないお力によって守って頂くということです。
さらに「お祓い」という信仰も生まれました。昔でいうところの井戸とかまどのお祓いを意味します。昨今では生活の上で何不自由なく使用している水と火、両方はありがたいものだけれど、これほど恐ろしいものはない。自然の恵みに対する感謝と畏れがお祓いとしてあらわれています。
最後の柱は「先祖供養」です。一軒一軒の読経(どきょう)の末には必ずその家のご先祖を書き記した過去帳を読み上げ回向(えこう)いたします。檀信徒の各家ではご先祖への崇敬(すうけい)と感謝の思いがそこで安心(あんじん)へと切り替わる。「先祖供養」は大切な信仰として定着していきます。
「念仏勧進」というもともとの柱に「祈祷」の柱、「お祓い」の柱、さらには「先祖供養」の柱の三つが加わり、四つの柱で御回在は成り立っています。
現在の御回在
御回在は、御本山から十一尊天得如来を奉持して十一尊にちなんで11人で鉦を叩きながら各地を回ります。11人の構成は僧侶が7名、「禅門」という在俗の信者が4名です。昔は各地の末寺を泊りがけで回っていましたが、現在ではマイクロバスを用いていますので、禅門の1人は運転手です。残る3人はご本尊を護持する人、鉦を叩く人、寄進された浄財を預かる人と、役目が決まっています。
僧侶7名のうち、紫の衣を纏(まと)っておられるのが「唱導師(しょうどうし)」。これは説教師で、各在所のお寺やお堂などでお勤めした後、お説教というお話をされる僧侶です。黄色い衣を纏った方は「目代(もくだい)」といいその日の御回在を取り仕切る役目をしています。それとお勤めの責任者です。そして茶色の衣の「収納(しゅのう)」という、寄進された浄財などを管理する僧侶。
そして最も各檀信徒に触れあう時間が多い黒い着物を着た若手の僧侶、彼らを「僧中(そうじゅう)」といい、御回在の主戦力であります。
家々でご本尊を黒塗りの桐箱から出して広げることを「お掛(か)かり」といいます。洗練された技術で仏間に掲げられます。息のあった2名の僧侶の卓越された所作により、目にも留まらぬ早業でご本尊が御姿を現わされた瞬間、猛然と読経が始まります。
「お掛かり」にも一統掛(いっとうが)かり、目代掛(もくだいが)かり、僧中掛(そうじゅうが)かりといろいろあります。
一統掛かりは僧侶一統が家に入りお勤めをし、目代掛かりは目代が主になって僧中2名だけが参加する、つまり3人での勤行です。僧中掛かりは僧中が2人でお勤めをします。
「お掛かり」をしない勤行の形もあり、「立回向(たてえこう)」といいます。立回向は御本尊を箱から出さず、仏壇の前、もしくは祭壇の正面に立てかけて僧中2人がお勤めをいたします。
いずれも読経をした後、先祖供養である過去帳をすべて読み上げます。そして再びご本尊を巻き上げ、御閉帳し桐箱に納め、家人に対して祈祷を行うのです。御本尊を1人ずつ背中にあてがわれ僧侶が申す「身体堅固ナムアミダブツ」の文言に載せて家内安全、身体堅固、除災与楽のお頂戴をいたします。
そして、一連のお勤めが終われば、御本尊を待ちわびておられる次のお檀家のもとへと颯爽と歩を進めていきます。