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融通念佛宗総本山 大念佛寺

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御遠忌(ごおんき)を迎えて(十二)

大通上人の業績

 本年300回忌を迎える大通上人(1649〜1716)は、元祖良忍上人(聖應大師1072〜1132)、中祖法明上人(良尊1279〜1349)とともに、融通三祖と讃えられています。

 慶安2年正月8日、総本山の地元平野郷の名家、徳田家に誕生されました。父は後年出家し祐徳と称し、母は小林氏の息女でした。

 幼少の頃より父母に連れられて大念佛寺に足繁く参拝し、いつしか出家を志すようになりましたが、両親の許しが得られず、優婆塞(うばそく−受戒した在俗の男の信者)として、多年、天台、禅、戒律、真言、浄土など広く仏道を修学されました。

 32歳のとき、かねてより敬愛していた大念佛寺第45世、良観上人のもとで剃髪するや、停滞疲弊していた諸機能を刷新し堂宇を修復または新築し、宝物を整備し本山としての威容を整え、檀林(だんりん−僧侶の学問所)開設の勅許を受け、僧侶を養成し規律を正し、末寺を巡錫(じゅんしゃく)して本末(本山と末寺)関係を密にされました。

 また法儀・法要を盛んにするとともに、自らも名帳勧進(みょうちょうかんじん)に努め、教えに導いた人は、生涯で20余万人に上りました。

 数ある著作、選定本、出版書の中で、宗義の綱要書である『融通圓門章』『融通念佛信解章』をはじめ、朝昼晩の三時勤行(おつとめ)の法式、融通念佛宗の歴史の正当性を証明するための『融通念佛縁起』の復刊『大念佛寺記録』等を残されました。

 また本山の財政基盤を確立するため、檀信徒と有縁の人に永代祠堂を勧募し、その浄財で田園を購入し、それによって生じる果実で宗門と大念佛寺を運営するとともに、将来に備えての資本とされました。

 上記に掲げた諸改革の原動力はどこにあったのでしょうか。それは出家して三年後の貞享元年(1684)、35歳のある夜、夢に神仏が現れて、今こそ宗門を再興し、大いに融通念仏を弘めるべきであるとの托宣を受け、師の良観上人に相談して、江戸に登り、寺社奉行に宗門再興の志願を訴え、4年後の元禄元年(1688)やっと裁可が下り、将軍綱吉公から許可を賜わったことに始まります。ときに上人、39歳でありました。幕府の裁可を得なければ、もはや綱紀の粛正と人心の一新をはかることが不可能なまでにさまざまな弊害が横たわっていたことを物語っているのです。

融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長
吉村 ワ英

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