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融通念佛宗総本山 大念佛寺

大震災に寄せて

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御遠忌(ごおんき)を迎えて(七)

順次往生と速疾往生(その1)

永久5年(1117)、良忍上人が46歳のとき、阿弥陀仏より融通念仏の教えを授かり、念仏を称(とな)えることによって、だれもが速やかに喜び溢れ、仏の智慧かがやく世界に生き往くことができるということを述べました。これを速疾往生(そくしつおうじょう)といいます。

鎌倉時代中期の建長6年(1254)に述作された『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』に、阿弥陀仏が良忍上人に融通念仏を教示する一段があり、「蓋(けだ)し速疾往生の法を教うべし。いわゆる円融(えんにゅう)念仏これなり。一人(いちにん)の行をもって衆人(しゅにん)の行となすが故に、功徳(くどく)広大にして順次に往生す。」と述べられています。

従来、極楽往生といえば、西方十万億土(さいほうじゅうまんのくど)の極楽浄土に生まれることを意味しました。しかしここはひたすら清浄な国土であって、わずかばかりの善根功徳(ぜんごんくどく)を積んだからといって、たやすく往生できる世界ではないといわれていました。

私たちが住む娑婆(しゃば)世界は多くの悪に染まり、汚れ多い国土です。人びとの欲望が渦巻き、さまざまな煩悩(ぼんのう)に満ち溢れています。こんな現実の娑婆世界に仏国土を建設することは不可能であることから、清らかで善に満ちた別世界を求めるという考えが浄土思想の根幹となっています。

この娑婆世界が、いかに無常と諸悪と不浄の世界であれ、私たちはここに生き、活動している以上、理想の国土は死後に求めざるを得ないわけですから、死後に約束された安楽な世界に往(ゆ)き生まれる以外に方法はありません。 このように死後、安楽な極楽浄土に往き生まれることを順次往生というのです。

順次往生の教えはまことに尊いものです。 これを現世否定とか厭世(えんせい)主義とかに受け取ると大きな誤りです。

最近は海外旅行もごく身近なものとなりました。一週間、十日、あるいは一ヵ月という期間で旅行に出かけることも少なくありません。旅行者は行く先ざきで沢山のみやげ物を買います。なぜ買うのでしょうか。帰りを待っている家人、友人にそれを手渡し、喜んでもらうためですね。まさに旅行は帰りを想定しているのです。帰り着く所を持っているから旅行は楽しいものです。もし皆さんが旅行に出かけるとき、家人に「それじゃ行ってくるからね。」と言葉をかけると、家人は「気をつけてね。早く帰って来てね。」といってくれるから安心して楽しく出かけられるのですね。これがもし「旅行に行くの? ああそう、ゆっ〜くり行ってらっしゃい。帰ってこなくてもよろしいよ。」といわれたらどうでしょう。旅行に行く人いなくなるでしょうね。帰れば迎えてくれる人がいる。安心して手足を伸ばし横になれるわが家が待っている。だから重いみやげも苦にならないのです。

帰り着く所があるから旅行といい、これがなければ放浪になるのです。ここを忘れてはなりません。

長い旅行もきょう一日の勤めも、迎えてくれる人と、帰る所があるから楽しいものとなり、張りあいがあるのです。ここで重大なことをお尋ねします。「それではあなたは、人生の最後、帰り着く所があるのですか。」 この質問を重く受けとめてください。「はい私は極楽浄土というすばらしい世界に生まれさせていただきます。そこでは先に逝(い)ったいとしい人たちとも会え、今度は二度と別れの悲しみもない永遠の幸せをいただくのです。」信念をもってこのようにいえる人は幸せです。旅人が帰り着くわが家と、迎えてくれる人があるから旅行が楽しいのと同じです。人生の最後、帰り着く世界を持つ人にして、はじめて、この現実の娑婆世界を力強く生き行く力が湧き、意義ある人生が送れるのです。

迎えてくれる人(阿弥陀仏)と、帰り着く世界(極楽浄土) ─この二つの確かな救いが、現実生活に生き甲斐と希望を与えてくれるところに、順次往生の尊さがあります。

ついでながら、これを機に“迎える世界”と“帰り着く世界”の大切さを身近かに感じていただきたいと思います。今はそれを小学生、中学生の子供のいる家庭に例をとって考えてみます。まず朝、登校時には「行ってらっしゃい」 帰宅時には「おかえりなさい」と笑顔で声をかける。ただそれだけでよいのです。そこに子供が明るく正しく育つ力が宿っています。子供にとって、迎える世界、帰り着く世界はあたたかい親のふところなのです。わけても母親の慈悲の胸ふところであります。これを抜きにして教育はありえないのです。

融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長
吉村 ワ英

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