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融通念佛宗総本山 大念佛寺

法話

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御遠忌(ごおんき)を迎えて(四)

 良忍上人は23歳の時、比叡山を離れて洛北大原へ移り住むことになります。大原は比叡山の別所として、聖(ひじり)と呼ばれる隠遁僧(いんとんそう)が集まってそれぞれ私的な修行をしていたところです。

 別所とは、本寺から離れて、修行者や念仏聖たちが草庵を結んでいる所のことで、修行者が大寺院などから離れた一定の区域内に集まり、そのたくさんの草庵が一つの村落のような形になっていました。京都では大原をはじめ、芹生(せりょう)、黒谷などその主たるものです。

 大原三千院の東、呂川(ろかわ)に沿ってゆるやかな坂道を登ってゆくと、もはや三千院前のにぎわいも嘘のように感じられる閑静な中に、浄蓮華院、蓮成院(れんじょういん)、来迎院(らいごういん)の三院があります。

 三千院とその奥にある勝林院、実光院。宝泉院から、この辺り一帯は魚山と呼ばれ、魚山流と称する天台声明(てんだいしょうみょう)(または大原声明)発祥の地であります。

 声明(しょうみょう)はインド五明(ごみょう)の一つで、古くから中国に伝わり、宋、東晋の時代に声楽に長じた法師の出現により、盛んになり、さらに魏の時に至って、陳思王曹植(ちんしおうそうじき)が出て、天台山(山東省泰安府)の一峰である魚山を根拠地として、梵唄(ぼんばい)すなわち仏教音楽を盛んにしました。

 日本でもすでに奈良時代に、縄文に抑揚をつけて唱える風習がありましたが、平安時代に入って、仁寿年間(851〜854)、日本天台宗第三祖、慈覚大師円仁が入唐(にっとう)して、わが朝に梵唄を伝えたのが源流といわれています。

 慈覚大師は中国天台山の魚山への懐古の情をこめ、また山容の風情が似ているところから、大原のこの一帯を魚山と称し、仏教音律の根本道場としたのが始まりと伝えています。一時衰退したのを、嘉保(かほ)2年(1095)、良忍上人がこれを再興し、来迎院を開創し、ついで浄蓮華院、蓮成院、善逝院(ぜんぜいいん)、遮那院(しゃないん)等の住坊を建立しました。

 良忍上人は天性の美声を生かし、寛誓(かんせい)、尋宴(じんえん)、瞻西(たんせい)等の師について声明を習得し、音階を整理修補し、実技と理論を合一組成し、在来の法流を統一して魚山流声明を大成されました。

 来迎院から川沿いにさらに東上すると、美しい一条の滝が千古の流れを今に伝えています。これを「音無しの滝」というのは、良忍上人の声明があまりにすばらしく、滝の音もしばし美声に聞きほれて、音を鳴り鎮めたいわれているところです。

 良忍上人といえば声明といわれるほど、後世に至るまで、仏教界に大きな影響を及ぼしているのみならず、詠歌、浪花節、歌謡曲などの原流もここにあるといわれています。

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融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長
吉村 ワ英

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