2015年までの法話

2008年09月

煩悩(ぼんのう)ということ ―三毒(さんどく)の汚(けが)れを去ること―

煩悩(ぼんのう)という仏教語は広く知られていますが、少し詳しくいうと、私たちの身体や心を悩ませ、かき乱し、煩(わずら)わせ、惑(まど)わし汚(けが)す精神作用のすべてのことです。一言でいえば、どうしようもない暗い迷いの心とでもいうべきでしょう。それは貪欲(とんよく)と腹立ち、怒り、怨みや憎しみ、邪(よこしま)な心などから出てくるものです。これを貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)といって、私たちの身や心を毒するものですから三毒(さんどく)といっています。

まず貪について― まことに私たちの欲望には限りがありません。欲望は一つかなえばまた次の欲が出てきて、とどまることがありません。これを貪欲といいますが、貪とは必要以上に物をほしがることをいいます。金銭、衣食住のどれについても人間には貪欲がついてまわります。そのために身を破滅に追い込むケースは、日常のテレビや新聞のニュースでいやというほど見せつけられます。

貪欲を抑制するためにはどうすればよいかというと、仏典には知足(ちそく)が説かれています。知足とは足ることを知るということです。別の言い方をすれば、ささいなことにも喜びと感謝の心をささげていくことです。そこに満たされた心の安らぎを覚えるのです。

次に瞋とは― 腹立ち、怒りのことですが、この一時的な感情が、人生を台無しにしてしまうこともあるのです。さらに厄介なことには、腹立ち、怒りは一時的なものにとどまらず、怨み、つらみとなって心の中にいつまでも残ります。これがその人を不幸にこそすれ、決して幸せにはしてくれないのです。

このことについても仏典は私たちに正しい治療法を示してくれています。それは忍辱(にんにく)という薬です。忍辱とはいかなる屈辱(くつじょく)にも耐えることです。日常の社会生活の中には、人から受ける屈辱によって痛めつけられ、くやし涙をながすこともあるかもしれません。それでも耐え忍ばなければならないと教えるのが忍辱です。なかなか難しいことですが、よく忍耐したものには必ず最後にはほほえみが訪れることを信じなければなりません。

三毒の三つ目は痴― これは愚痴(ぐち)のことですが、愚痴とはものの真実を見失い、誤ったものの見方、考え方に固執(こしゅう)して暗闇をさ迷うことをいいます。よく世間で「ぐちをこぼす」といいますが、これはそうした正しい見方、考え方からずれてしまいつつも、自らの誤りに気がつかず不平不満をいうことに使われているのです。

私たちはものの道理をわきまえ、真実を見極める心の目を養うことが肝要なのです。仏さまの教えはそのためにあるといってもいいでしょう。

融通念佛宗が勧めるお念仏の行もそのためにこそ尊いのです。

融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長

吉村 暲英
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