霊明殿三忌

大念佛寺境内の西北に位置する霊明殿

霊明とは不可思議な力を備えて、

明るくくもりのないことをいう

霊明殿三忌について

霊明殿三忌

霊明殿にお祀りする鳥羽上皇、後小松天皇、徳川家康公の忌日には管長猊下をはじめ、大念佛寺僧侶により懇ろに法要が勤修されています。

東照大権現忌
5月22日
鳥羽上皇忌
7月20日
後小松天皇忌
12月1日

東照大権現忌(5月22日)

東照大権現の呼称は、元和3年(1617)後水尾天皇から贈られた勅諡号で、以後徳川家康公(1542-1616)の敬称となった。慶長19年(1614)大坂冬の陣、元和元年(1615)夏の陣において、家康公は大念佛寺を訪れ、第36世道和上人に天下泰平、武運長久の祈願を乞うた。上人はその要請に応じ融通念仏会を修し国家安泰を祈願し、あわせて治国の指針を教示した。両度の戦役が終息して江戸への帰途、再び大念佛寺を訪れた家康公は、田園300石を寄進する旨を伝えたところ、道和上人は寺祿が豊かになっては却って僧侶の求道心が欠如することを恐れてこれを辞退し、代わって良忍上人の念仏勧進に倣い諸国へ回在念仏の弘通の許可を願い出てこれが許された。家康公亡きあと、歴代将軍より相次いで兵火によって破損した堂宇の修復料が寄せられた。それ以来、大念佛寺は朝廷とともに徳川幕府にも礼を尽くし、霊明殿に家康公の霊牌を安置し、忌日には報恩の法要を修するようになった。

鳥羽上皇忌(7月20日)

鳥羽天皇は第74代天皇で、譲位後、崇徳、近衛、後白河3代28年間院政を行ったことから上皇の称号で知られている。仏教信仰が篤く古書を好み、故事、音楽に造詣が深くあられた。宗祖良忍上人が永久5年(1117)洛北大原で阿弥陀仏の示現によって、誰もが口に念仏を称えることによってこの苦しみの世を喜び溢れ、智慧輝く浄土にできるという融通念仏の教えを授かってのち、天治元年(1124)6月9日 鳥羽上皇は宮中に良忍上人を招いて、皇后待賢門院をはじめ公卿百官もろともに融通念仏日課百遍を受け深く良忍上人に帰依された。さらに上皇は名帳(融通念仏勧進帳)に序文をしたため、融通念仏の功徳をたたえ、ご愛用の鏡を鉦に鋳替えて良忍上人に与え、念仏行脚の便に供された。その恩恵に報いるため第3世明應上人は霊明殿を建立し、上皇の霊牌と御真影を奉安しその忌日には盛大な法会を修した。しばらく途絶えていた法会を今般、霊明殿が改修されたのを機に復活したものである。

後小松天皇忌(12月1日)

後小松天皇は第100代の天皇で、永徳2年(1382)北朝の天皇となったが、明徳3年(1392)、後亀山天皇から神器を継承し南北朝合一を成し遂げられた。第14世道音上人(1332-1391)の時、上人の高徳を聞し召した天皇は、康応元年(1389)宸翰融通念仏勧進帳を下賜された。後小松天皇は能書家としても名高く、世尊寺流といわれる流麗な筆致で序文をしたためておられる。これは国の重要文化財に指定されている貴重な逸品である。その護法のお心に感謝する報恩の忌日である。

霊明殿

霊明殿は正門(唐門(からもん))、回廊(かいろう)、修法堂(しゅうほうどう)、奉安所(ほうあんしょ)からなっている建物で最初は鳥羽上皇をお祀りするために建てられたもので、上皇を尊敬してその名を付けられました。

霊明殿の創建は保元(ほうげん)元年(1156)、第三世明應(みょうおう)上人のときと伝えられています。

宗祖良忍上人の念仏勧進(かんじん)を助け、自らも深く融通念仏に帰依(きえ)された鳥羽上皇に、報恩感謝をささげるために、その霊牌(れいはい)と御真影(ごしんえい)を祀るために建てられました。

霊明殿
日課勧進帳序文

その後、寛永年中(1624 ~ 1643)第三十八世法覚上人は徳川家康公を合祀(ごうし)するため権現造(ごんげんづく)りの社殿を再建いたしました。それ以降ここを「権現さま」「お宮」と称し遠近からの参拝者で賑わいました。家康公は大阪冬の陣慶長19(1614)年、夏の陣元和元(1615)年において、第三十六世道和上人に帰依し、治国の要を教わり、国家安穏(あんのん)の祈祷を乞い、日課念仏を誓約しました。さらに両度の戦役(せんえき)で被災した大念佛寺に礼を尽くし、青銅五百貫文を弁済して庫裡(くり)を再建し、御回在念仏勧進の許可を与えるなど、融通念仏の弘通(ぐずう)に貢献されました。

霊明殿は何度か修理を繰り返し、正門と回廊は江戸時代の遺構を残していますが、奉安所(神社の本殿に相当するもの)と修法堂(神社の幣殿(へいでん)と拝殿に相当するもの)は明治25年頃の火災で焼失し、その後、昭和5年に旧形を踏襲して建て替えられました。そして平成20年には破損が著しかった正門と回廊を中心に改修工事が行われました。よみがえった霊明殿の瓦の文様は十六菊と三葉葵(みつばあおい)の2種が交互に並んでいます。

平成20年の大改修を機に新たに後小松(ごこまつ)天皇の天牌(天皇の御霊牌)もお祀りしています。後小松天皇は南北朝時代、嘉慶3(1389)年融通念仏勧進帳に序文をしたため、第十四世道音(どうおん)上人に下賜されました。序文の冒頭には貧富男女に隔てなく融通念佛の名帳にその名を記させ、ともに徃生を遂げることを願って融通念佛を天皇自ら勧める文言があり、大いに融通念仏の功徳を称揚するとともに、広くこの教えを世に弘められた大恩人であります。この勧進帳は国の重要文化財に指定され、大念佛寺の什宝として今に伝わっています。

霊明殿